寳船冷藏と冷蔵の歴史

| 氷室(ひむろ)に始まる歴史 | 源氏物語と氷 | 江戸時代のコールドチェーン |
| 明治から大正へ | 寳船冷藏の誕生 | 焦土の中から復興発展 |
| 全国屈指の冷蔵能力 | そして90周年へ… |


氷室(ひむろ)に始まる歴史

氷室(ひむろ)に始まる歴史

氷室とは、氷を貯えておく場所のことで、現在の冷蔵庫にあたります。
製氷する技術がなかった時代には、冬場にできた天然の氷を溶けないように保管する必要がありました。正確な記録は残されていませんが、洞窟や地面に掘った穴に茅葺などの小屋を建てて覆(おお)い、夏まで保存したとされています。これが氷室です。
氷室の歴史は古代にさかのぼり、『日本書紀』の仁徳天皇62年に、つぎのような記述があります。
仁徳天皇の異母弟の額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が、闘鶏(つげ=現在の奈良県天理市福住町)へ狩りに出かけたとき、土地の豪族が所有していた氷室を発見。皇子は豪族に保存の方法や使い方をたずね、その氷を宮中に献上したところ、天皇は大いに喜ばれたそうです。
いらい、朝廷のために氷室を管理する要職が設けられるようになりました。


源氏物語と氷

源氏物語と氷

さて、2008年は源氏物語千年紀でした。
1000年を経た現在も、多くの人に読み続けられている『源氏物語』ですが、そこにも氷が登場します。
源氏物語「蜻蛉(かげろう)」に、夕暮れの宮中で薄絹の着物をまとった女性たちが、氷室から取り出した氷をかち割って紙に包み、胸や額などに押し当てて涼をとっているくだりが描かれています。
当時、夏には氷水をご飯にかけて食べる(水飯=すいはん)習慣もありました。
同じく源氏物語「常夏(とこなつ)」には、光源氏の息子・夕霧が友達たちと水飯をかき込んでいるそばで光源氏がお酒を楽しんでいる場面があります。
高温多湿の日本の夏をどのように過ごすか…。王朝絵巻の世界では、氷が貴重な役割を果たしていたといえるでしょう。

このページの先頭に戻る


江戸時代のコールドチェーン

江戸時代のコールドチェーン

氷は、古代から近世にかけて貴重な献納品でしたが、江戸時代になると氷の保存のきく雪国地方では、夏に庶民も口にしていたといわれています。
しかし、雪国から遠い江戸の庶民にとって、氷はなかなか手に入れることのできない高級品だったようです。
こうした中で、加賀藩では将軍への「献上氷」を始めます。
加賀藩では氷と同時に、日本海で獲れる真鯛をも運んで献上したという文献が残されています。
このころ、前田藩(というより雪国地方)では、氷でものを保存することを知っていました。従って、加賀から江戸まで氷で保存した真鯛を運んだということは、まさしく江戸時代のコールドチェーンといえるでしょう。
余談ですが、駒込にある前田藩邸から江戸城まで運ぶ際には、はね落ちる冷水のしぶきを一滴でも受けようと沿道に人が群がったそうです。


明治から大正へ

明治時代の初期まで、冬の間に氷室で保存していた天然氷を利用していましたが、明治10(1877)年に初めて人造氷がつくられたのをきっかけとして、次第に人造氷の生産が増えました。
そして、明治32(1899)年、鳥取県米子町に鮮魚貯蔵用の冷蔵倉庫が建設されましたが、それが、わが国の冷蔵事業の最初とされています。
しかし、当時は製氷事業の副業として貯氷庫を利用しているに過ぎず、本格的な冷蔵倉庫の出現は大正時代の中期に入ってからのことです。 第一次世界大戦をきっかけに食糧問題がクローズアップされはじめました。 食糧を安全に保存する…。 冷蔵事業に対する社会の関心が次第に高まり、冷蔵技術とその設備は急速に進歩していきます。

このページの先頭に戻る


寳船冷藏の誕生

寳船冷藏の誕生

寳船冷藏は、こうした情勢のもとに「ご利用者本位の冷蔵倉庫」を根本理念として、大正8(1919)年に創立しました。
大阪市西区南堀江にわが国初の近代的3階建冷蔵庫を完成。業界に一大刺激を与えるとともに冷蔵庫に対する世間の認識を深め、保管貨物の種類・数量ともに急速に増加していきました。
折から、冷蔵庫の重要性を認めた政府は大正12(1923)年「水産冷蔵補助奨励金下付規則」を設け、冷蔵業界の振興に多大な援助を与えました。
寳船冷藏はこの政府の方策に対応し、昭和11(1936)年、大阪市福島区海老江に当時最高水準を誇る鉄筋コンクリート造3階建の野田工場を新設。さらに翌年には大阪市港区天保町に製氷専門の築港工場を建設。名実ともに冷蔵業界において、指導的地位を確立しました。
ちなみに、野田工場にエレベーターを導入し「ものを上下させる」という発想は寳船冷藏がわが国で初めてでした。


焦土の中から復興発展

焦土の中から復興発展

昭和20年8月終戦――。
戦禍によって冷蔵業界は大きな打撃を受けました。
寳船冷藏も、堀江工場が大破。その復興に全力を挙げる一方、駐留軍に接収されていた野田工場の運営に当たり、戦後の第一歩を踏み出しました。
こうして昭和25年前後から、冷蔵業界は活況を呈していきますが、寳船冷藏においても昭和33年に新町工場を、昭和37年に港工場を建設。さらに、その後も施設の近代化を推進し、野田、港、堀江各工場の増築を行い、同47年には他に先駆けてコンピュータを導入。また、同48年港工場に、わが国最初の超低温(-40℃保持)ラック自動式冷蔵倉庫を竣工しました。

このページの先頭に戻る


全国屈指の冷蔵能力

全国屈指の冷蔵能力

寳船冷藏の進展は、その後も続きます。
昭和54年に、大阪南港食品埠頭に南港工場(26,000トン)、同60年には野田工場流通センターを竣工。さらに同63年5月南港工場の増築工事(28,000トン)を完成させました。これによって同工場の冷蔵能力は54,000トン、一事業所単一運営としては日本最大級の規模となりました。
平成6年3月、港工場に全館移動ラック式の冷蔵倉庫(8,600トン)が竣工。また同年11月、咲洲工場(20,600トン)が開業、平成12年9月には港工場本館(10,800トン)を建替竣工、総冷蔵能力は114,800トンを超えるなど、全国で屈指の規模に列します。


そして90周年へ…

そして90周年へ…

2009年9月、寳船冷藏は90周年を迎えます。
わが国における冷蔵業界の黎明(れいめい)の時代に誕生した寳船冷藏は、まさに「冷蔵倉庫の発展とともに」といっても過言ではありません。
今後とも、食品低温流通機構の充実は重要となり、冷蔵業界に課せられた役割は一段と拡大していくことでしょう。
遠い時代、冬にできた氷を保存するということに始まり、天然氷からやがて人造氷を…。そして、食糧を備蓄・保存することの重要性から冷蔵倉庫が生まれました。
いまや冷蔵業界は、この国の食生活になくてはならない存在になっています。
折しも、「食」の安全・安心に対する関心はかつてないほど高まっています。
寳船冷藏は、これまで以上に、ご利用者の皆さまから信頼される企業をめざしてまいります。

※新町工場は平成10年営業廃止。野田工場は平成12年営業廃止。

このページの先頭に戻る

冷蔵の歴史